森林率が9割を超える木工の町〜飛騨高山〜
飛騨高山とは岐阜県北部にある高山市のことで、飛騨地方の中心にあるため“飛騨高山”と呼ばれています。周囲を飛騨市、下呂市、郡上市、白川村、長野県、富山県、石川県、福井県に囲まれています。人口は約8万3千人です。また、高山市中心部は江戸時代以来の城下町・商家町の姿が保全されています。その景観から「飛騨の小京都」と呼ばれており、平成28年度には451万人が観光に訪れました(平成28年観光統計より)。特に毎年春と秋に行われる高山祭の豪華な山車(だし)と古い町並みとのコラボレーションは必見です。
高山市は面積が2177.67haで“日本一広い市”としても有名で、その大きさは東京都に匹敵します。そのうち92.1%は森林で占められており、山、川、渓谷、峠などの自然資源が豊富にあります。それ故に飛騨高山は古くから“山の飛騨国” と言われてきました。現在でも林家(りんか)という林業で生計を立てている世帯員数は4482人にのぼり、林業従事者は350人に達します(平成22年度国勢より)。この数字は岐阜県下ではもっとも多い人数になりますが、その人数は年々減少しています。そこで高山市は林業活性化のため、間伐*の推進を行ったり、カーボンオフセット*による森林づくりを進めたりしています。また、作業道の整備や人材育成などにも取り組んでいます。それと並行して、一般向けに保健休養や自然観察の場としての利用を促しています。
*「間伐」:森林の健全な生育を促すため、生長の段階に合わせて一定面積あたりの本数を減らし、十分な日あたりが確保できるようにすること。間伐が行われないと、木の生長が遅れ、根を張ることも難しくなり、根を深く張っていないので、台風などの災害で倒れやすくなる。
*「カーボンオフセット」:温室効果ガスの削減活動に投資することで、日常生活や経済活動で排出される分を埋め合わせるという考え方のこと。
そんな飛騨高山の歴史は古く、縄文時代の遺跡が数多く発掘されていることから分かるように、大昔から人々が暮らしてきた痕跡が残っています。飛鳥時代には、当時の税制である「租庸調」が飛騨国においては免除されていたという史的事実が確認されています。“飛騨の匠”と呼ばれる木工職人集団を都の奈良に派遣することで免れていたようです。彼らが建設に携わった興福寺や唐招提寺などの寺院は現在、ユネスコの世界遺産に登録されており、技術の高さがうかがえます。また、飛騨高山では自然の豊富さ、受け継がれ続けている飛騨の匠の技術の双方を活用することにより、オーダー家具が発展してきました。大正時代にはそれまでに使い道がないとされながらも、資源としては潤沢にあったブナ材の活用を模索。試行錯誤を続け、難易度の高い曲げ木技術を生み出し、椅子の生産・販売へと結び付けていきました。戦後になると企業数が増加して産地が形成され、全国有数の「家具の町」として有名に。飛騨高山の家具は椅子・テーブルなどの脚物家具が得意だとされ、現在でも家具メーカーや家具職人が多く活躍しています。もちろん家具だけでなく、食器やおもちゃなどの木製品の生産も盛んです。「森林たくみ塾」や「木工芸術スクール」などの教育機関も充実しており、森林との繋がりのある文化が今もなお育まれ続けています。
飛騨高山は近年観光地として注目されていますが、森林などの自然資源に恵まれており、地域と深く関わってきたことがお分かりいただけたと思います。飛騨高山の魅力を少しでも伝えられていたら幸いです!!飛騨高山にいらっしゃる機会がありましたら、自然にも目を向けてみてくださいね。