木の国 尾鷲林業の歴史

2016年に開催された「先進国首脳会議(G7)」。通称“伊勢志摩サミット”と呼ばれた会議が三重県の志摩市で行われました。このとき、ある事が話題に。それは首脳会談で使用された円卓です。この円卓に使われたのは地元材である“尾鷲ヒノキ”。各国の首脳が尾鷲ヒノキの円卓を囲んで会議をする様子が世界中に発信されました。さらに、翌年にはその尾鷲地域の林業が「日本農業遺産*」に登録されるなど、近年尾鷲ヒノキに注目が集まっています。今回はそんな尾鷲ヒノキにまつわる歴史をご紹介したいと思います。

*日本農業遺産:社会や環境に適応しながら何世代にもわたり形づくられてきた伝統的な農林水産業と、それに関わって育まれた文化、景観、生物多様性などを一体的に評価し、特に重要性を有するものを農林水産大臣が認定する制度(三重県HPより引用)

歴史① 人気急上昇のわけ~関東大震災~

日本三大人工美林*の一つにも数えられる尾鷲ヒノキですが、初めからもてはやされていたわけではありません。19世紀後半に木材の価格が他の産地に比べて低くなっていたことからもそのことが分かります。尾鷲ヒノキは赤味を帯びた光沢を持っていますが、当時は白味のヒノキの方が好まれていました。しかし、関東大震災が起こったとき、状況は一変します。尾鷲ヒノキを柱に使った家屋の倒壊が少なかったことが分かりました。優れた耐震強度を持っていることが認められると、一躍その名が広まっていったのです。

*日本三大人工美林:奈良県の吉野スギ、静岡県の天竜スギ、三重県の尾鷲ヒノキが日本三大人工美林と言われています。

歴史② スギからヒノキに転進?


この地域の人工林における木材生産の歴史はとても古くからあります。なんと1620年代には商業的利用のための造林が行われるようになったのだとか。傾斜が急な土地が多く、農地が少なかったこと、紀州藩(和歌山藩)が林業を奨励したことなどから林業地として栄えるようになります。海も近かったため江戸など多方面へ向け、海から木材が運ばれて行きました。
尾鷲ヒノキで有名な尾鷲林業ですが、実はヒノキよりもスギを多く育てていました。代表的な人工林樹種のうち、スギはヒノキやマツと比べて肥沃で水分の多い場所での成長力が高く、逆に環境が恵まれていないと成長力がより乏しいと言われています。尾鷲地域は痩せ地*が多く、スギの生育に適した場所は限られていました。そのため、人工林が増えていくのに従ってスギよりもヒノキを植える割合が増加し、いつしかヒノキ林の割合の方が多くなっていたのです。こうした、風土に適した樹木を植えていく試みが、現在の尾鷲林業を作っています。

*痩せ地:草木を生長させる力が弱く、作物が育ちにくい土地の事

先ほど話した通りこの地域は土壌が痩せており樹木が育つには厳しい環境です。しかし、じっくり育つ代わりに年輪は緻密になります。さらに、温暖多雨の気候で育った木材は、油分が多く光沢があり、耐朽性にも優れているなどの特徴を持つようになりました。土地の気候によって様々な特性が樹木に宿るようになります。
これまで述べてきた尾鷲林業だけではなく、日本各地に多くの特色ある気候、土地をもった林業地があります。あるいは、あまり知られていなかった歴史が眠っていることも。あなたのまちの森について調べてみると、新たな発見があるかもしれません。

<参考文献>
岩水豊ほか著(1984) 『日本の林業地-生い立ちと現状-』 全国林業改良普及協会