【伐採編】鉄道やトラックを使わずして、山から海まで木材をどう運んだ?

私たちの身の回りにある木材。家の構造材や内装材として使われていたり、家具や小物に加工されていたり、さまざまな形に変わっています。その材料はいずれもが、もとは巨大な生物としての樹木だったわけです。

現在一般的に伐採される樹木の目安を直径20cm、樹高20m前後とします。奈良の大仏で19m、ガンダムは18mなので、それくらいの大きさだとイメージしてください。樹齢1000年レベルになると樹高50m近くになることもあるので、大木はウルトラマン(40m)ですね!

そんな超巨大物体を山から河口まで人が運んできたわけですが、ガンダムやウルトラマン並の物体を一体どうやって伐り倒し、運ぶのでしょう?

現代であれば、チェンソーで木を伐採して、グラップルなどの林業機械で丸太をひょいとトラックの荷台に積み、陸路で大量に木材を運搬。かなりざっくりですが、こんな感じで下流まで迅速に届けることができます。

じゃあ、こうした機械やトラックがなかった時代は…?

過去の木材運搬について記録が残っているものの一つとして「木曽式伐木運材図会」があります。江戸時代後期頃の木曽(長野県)・飛騨(岐阜県)地方で行われていた木の伐採や材の運搬技術について記された上下2巻の絵巻物で、作業工程に沿って絵図と説明文が書かれています。

この絵図をもとに、当時の木材流通について想像をふくらませてみましょう!

山の中へ長期出張

当時、木曽は尾張藩領、飛騨は幕府直轄領でした。そのため、この「木曽式伐木運材図会」では、藩や幕府が管理していた山での木材流通が描かれています。

尾張藩や幕府から各地の奉行所に通達された注文書に沿って、必要な木材の調達が始まります。一山の予定伐木数は4~6万本。伐採作業は事前の調査・計画で選定された山で行われます。

木曽式伐木運材図会

※林野庁中部森林管理局所蔵

この計画をもとに杣(そま:木こり)たちが作業をするわけですが、毎日山の上まで通うのは大変です。そこで、「杣小屋」と呼ばれる小屋を生活拠点にしていました。

杣小屋(林野庁中部森林管理局所蔵)

杣小屋(林野庁中部森林管理局所蔵)

杣小屋での炊事(林野庁中部森林管理局所蔵)

杣小屋での炊事(林野庁中部森林管理局所蔵)

杣小屋の中での食事風景(林野庁中部森林管理局所蔵)

杣小屋の中での食事風景(林野庁中部森林管理局所蔵)

任地に赴くとまずは、この杣小屋を建てることから始まります。用水が近くにあり、山崩れが起きにくい地盤がしっかりした地点を選定。小屋を建てるための材料はもちろん現地調達。伐採から材木の運び出しが完了するまで、この小屋で暮らすことになります。米などの生活必需品を背負って運び込む労働者や、炊事専属の者もいました。

また、一山の中でも作業エリアが区切られており、頭領を中心に30人前後でチームを組んで作業にあたっていたようです。

山の神に祈り、伐採

山仕事を始める前に行われる儀礼「山神祭」。老木の根元にしめ縄を張り、常磐木のサカキと御幣を立て御神酒を奉納。山神を祭り、山での仕事の安全を祈っていたと言われています。

それほど命懸けの仕事でした。今でも人によっては伐採前にこのような儀礼を略式で行うこともあります。道具が進化しても、危険なことに変わりはないのです。

斧での伐採の様子(林野庁中部森林管理局所蔵)

斧での伐採の様子(林野庁中部森林管理局所蔵)

山仕事の中でもっとも危険な作業とされていた木の伐採。樹木本体の中ではさまざまな応力が働いているため、技量がないと倒れる方向が不安定になるなど、自然相手だからこそ何が起きるか分からない危険にさらされていた木こりたち。

木曽式伐木運材図会

※林野庁中部森林管理局所蔵

そこで編み出されたのが「三つ紐切り」という伐採法です。上記左図のように樹幹に3方向から斧を入れて3つの開口部を作り、その間に伐り残し部分(つる)を作ってから伐採する方法です。“つる”がブレーキの役割となり立木がゆっくり倒れるため、材への損傷が少なく、狙い通りの方向に伐り倒しやすくなります。

昭和30年代にチェンソーが導入されてからは使われなくなった方法ですが、伊勢神宮の式年遷宮の行事では、今でも三つ紐伐りの手法で御神木を伐採しています。

斧で木を伐り倒した後は、その木の梢を切り株に挿していました。山神への感謝の気持ちの表れだったのでしょうか。(次節左図参照)

倒した木をその場で加工

木曽式伐木運材図会

※林野庁中部森林管理局所蔵

伐り倒された木は、幹から先端に向けて枝打ち専用の斧で枝を落とします。丸太の寸法は樹種ごとに決まっていたため、竹を小割にして作った間竿によって長さを測定し、斧や鋸で伐り分けました。その後、くさびを用いて木材を割ったり削ったりして角材や板材に仕上げます。

また、樹皮もこの段階で剥いでしまいます。木材の滑りをよくし、運材・集材作業を楽に行うためでした。図のように木材の先端が山型になっているのは、材を運ぶ際に割れにくくするためなのだとか。

さあ、ここまでで、運ぶ材は整いました。

次回の上流編(https://moriwaku.jp/history/6045/では山の中から川へ材をどのように運んでいたのかお伝えします!

※掲載している過去の写真や図会画像(林野庁中部森林管理局所蔵のもの)の二次利用は厳禁です


参考資料等)
・熱田白鳥の歴史館(http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/nagoya/)各種展示