愛知と飛騨市の「津島神社」

全国的に大きな祭りで使用されることの多い「山車(だし)」。日本全国で700輌ある山車のうち半数以上が東海地方に集結しています。全国的に山車を使った祭りは岐阜県の高山祭が有名で規模も大きいですが、東海地方でもっとも数多く山車を使用している祭りは別にあります。それは元尾張藩の領内にある愛知県津島市の「津島天王祭」です。500年以上も歴史があり、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑も見に来ていたとされています。そしてこの祭りを行っているのが津島神社です。全国に三千以上もある津島神社の総本社でもあります。

 

津島天王祭(photo by tsuda

津島という地名の意味は「船のつくところ」であり、近くを流れる木曽川を下ると伊勢に行くことができるため、この地名になったとされています。津島神社は古くからご利益のある場所だとされ、伊勢参りの際に「津島に行かにゃ片道参りだ」と言われるほど重要なものでした。
そんな同社はヤマタノオロチを撃退したとされるスサノオノミコト(牛頭天王・ごずてんのう)を祭っており、その勇敢さから大願成就や厄難除けなどのご利益があります。豊臣秀吉は門を、徳川家康をはじめとする徳川家は社を寄進することでご利益を得ようとしたという記録が残っています。津島神社はかつて「津島牛頭天王社」と呼ばれていました。牛頭天王社は神仏習合と言って、神道と仏教を1つの信仰対象としてとらえる宗派で、明治時代の「廃仏棄釈」の影響を多く受けました。このため、津島牛頭天王社は現在の名称へと変わり、「津島天王祭」に名残があるのみとなりました。

先ほど木曽川を下っていくと伊勢があると言いましたが、上っていくと何があるのでしょうか。実は飛騨高山にたどり着きます。そしてなんと飛騨高山には「津島神社」が5つあります。この5つの神社は全て先ほど紹介した愛知県の津島神社から派生した神社です。その中の1つである飛騨市の津島神社について見ていきましょう。

 

飛騨市の津島神社

この神社は、かつて疫病が流行した際にスサノオノミコトのご利益を得るために祈祷を行い、災いを鎮めたのだそう。のちに本社も作られ、現在はナラやトチなどの巨木と100種以上の山草が生い茂っており、地域住民には「天の森」として親しまれています。

 

津島神社にある徳川家の家紋

また、社内では徳川家の家紋を至る所で目にすることができ、いかに津島神社と徳川家の関係が深いのか理解できます。愛知県の津島神社では祭りの名前でしか牛頭天王を感じることができませんが、飛騨市の津島神社では本社の正面に「牛頭天王宮」の文字を見ることができます。廃仏棄釈には地域差があったようなのですが、入り口には「津島神社」、本社正面には「牛頭天王宮」と2つの名前を見ることができるのは面白いですね!!

 

本社正面にある牛頭天王宮の文字

愛知県の津島神社と飛騨市の津島神社の繋がりを名前と徳川家をもとに振り返ってきました。どちらの津島神社にも趣や特徴が見られ、新しい発見もあったのではないのでしょうか。特に飛騨市の津島神社は四方を自然に囲まれた環境にあるので、徳川家の人や、家臣たちも同じように自然を見ていたのではと思うと歴史を肌で感じることができ、これもまた一興ですね!

 

本社から見た景色

きっと皆さんのご自宅の近くにも神社があると思うので、歴史や背景を調べてみると神社そのものに表情が見えてきて面白いと思います。ぜひ、気になった方は調べてみてはいかがでしょうか?きっと今までと違うものが見えてくるはずです。