世界で認められた飛騨の匠の技

皆さんは“飛騨の匠”という言葉を聞いたことがありますか?飛騨の匠とは飛鳥時代のころから奈良の都に赴き、宮殿や寺院の建築などに尽力した飛騨の木工職人たちの総称です。彼らの技は現在も飛騨高山の地で受け継がれ続け、建築物や毎年春と秋に行われる高山祭の山車で見ることができます。高山祭は「日本三大美祭」の1つとしても有名で、木工・塗り・彫刻・金具・織り・染め・絵画・人形など、職人たちの技術が凝縮された山車が街中を練り歩きます。平成28年には「山・鉾・屋台行事」の1つとしてユネスコの無形文化遺産にも選ばれ日本国内だけでなく世界中で匠の技が認められました。

 

高山祭の山車

高山祭の山車

Photo by 林鉱睿

飛騨の匠の歴史を紐解いていくと、遥か昔から評価されていたんです!701年から始まった税制度の租庸調では全国で唯一、飛騨国は匠たちを派遣することで納税を免除されていたそうです。そんな匠たちの技を世界遺産に選ばれている「古都奈良の文化財」をもとに見ていきます。

まず、「古都奈良の文化財」には東大寺・興福寺・春日大社・元興寺・薬師寺・唐招提寺・春日山原始林・平城京の8つで構成されています。その中の唐招提寺・興福寺・薬師寺・平城京・東大寺の5つで飛騨の匠の技を見ることができます。今回はその中のいくつかを紹介をします。奈良市五条町にある鑑真和上が建立した「唐招提寺」。「静」を表している寺院で、厳かな雰囲気を感じることができます。唐招提寺金堂は同時期に創建された飛騨国分尼寺と同じ「吹きはなし」と呼ばれる構造になっています。これは柱の間に壁がなく外部に開放されている作りのことを言い、「古都奈良の文化財」の1つである興福寺にも見られます。全国にある国分寺(朝廷で建てた寺院)で「吹きはなし」のものは飛騨国分寺以外に例がありません。このことから「吹きはなし」の技術を持った飛騨の匠たちと都の交流が活発に行われていたことがうかがえます。

興福寺の「吹きはなし」構造

興福寺の「吹きはなし」構造

Photo by Sek Keung Lo

一方で薬師寺は唐招提寺とは対称に「動」を表している寺院で、豪華さが売りの1つになっています。飛騨の匠たちは藤原京・平城京の両期において政府機関の木工寮(宮中の造営や木材の準備を担う役所)所属であったので薬師寺の建設にも携わったと考えられています。当時は壮麗さと言えば、藤原京か薬師寺!と言われていたそうなので、藤原京と薬師寺の両方の建設に携わった飛騨の匠たちの技は現在高山祭で使われている山車へと継承されているのかもしれませんね!

飛騨の匠が手彫りした寺院の装飾の一部

飛騨の匠が手彫りした寺院の装飾の一部

さらに当時飛騨の匠が生活していた場所は今でも「飛騨」という地名が付いているほど飛騨と奈良のつながりはとても強いものがあります。今回見てきたように飛騨の匠の技は現在・過去両方で評価され続けてきました。きっと今後も世界中で受け入れられていくであろう飛騨の匠の技を感じに、飛騨高山や匠たちが残した建築物を見て回る旅をしてみてはいかがでしょうか。きっと素敵な発見があるはずです。

参考文献
『新・飛騨の匠ものがたりⅡ』飛騨の匠学会(2009年5月10日)北陸製版株式会社
「日本三大美祭り!高山祭・祇園祭り・秩父夜祭りとは?」http://ukkari365.net/303.html(閲覧日:2017年9月5日)
「飛騨國 桜山八幡宮」ウェブサイトhttp://www.hidahachimangu.jp/index.html(閲覧日2017年9月6日)
「春日野奈良観光」ウェブサイト
http://www.kasugano.com/kankou/spring/suzaku_daikoku.html(閲覧日:2017年9月6日)