境内にある桜で鮎の漁獲量を占う

“神社”という言葉を見聞きしたとき、皆さんの頭の中にはどんな情景が思い浮かぶでしょうか。立派な建物や鳥居、賽銭箱など色んなイメージがありますよね。その中に、大きな木や深い森を連想した方もいることでしょう。実際に神社に行ったときの記憶を呼び起こしてみてください。確かに、常にセットのごとく立派な大木が林立していることは容易に想像できるはずです。なぜ神社は木に囲まれているものなのでしょうか。

古くから、神は木や石などの自然物に降り立つと考えられてきました。白山のような山岳信仰などがあったように、山そのものも神として捉えられ、人が畏敬の念を抱く対象でした。だからこそ、神社は自然に囲まれた空間となっているのです。

このシリーズでは、“木と神社の関係性”をテーマに日本各地の神社における木に関したエピソードなどを紹介しています。あなたの町にも必ずや、眠っている言い伝えや伝説などがあるはずです。

早咲き桜の名所「岐阜護國神社」

岐阜護國神社,鳥居

岐阜護國神社,入り口

岐阜・中濃・東濃各地区出身の戦没者である御英霊が祀られている「岐阜護國神社」。ご遺族の方々が参拝に訪れるのはもちろん、家内安全・災難除けのご利益があることから、結婚式やお宮参り、七五三などの家庭にまつわるお祝いごとの行事で多く利用されています。

そして、この境内に植えられている樹齢約150年のエドヒガンザクラも人気スポットとなっています。3月中旬頃に開花するという早咲き桜で、市内外から多くの花見客が訪れます。鵜匠がこの桜の花の数で鮎の漁獲量を占ったことから、“鵜飼桜”と呼ばれているそうです。“鵜飼”とは鵜を使って鮎などを獲る漁のこと。“鵜匠”はその鵜を操る人のことで、宮内庁式部職として現在も活躍しています。同社は長良川の左岸際に位置していますが、そのちょうど対岸一帯は鵜匠たちが居住している地区です。漁期になるとすぐそばでは鵜飼を見物することもできます。

それくらい鵜飼と縁のある場所なのですが、もともとは数百m先にある御手洗池のそばにこの桜が植えられていたという話もあります。この神社の創設と合わせて、せっかくならばということで植え替えられたのかもしれませんね。

ロケーションから感じる創設者の想い

長良川,川原

岐阜護國神社から歩いて5分ほど行くと、岐阜市を代表する観光スポットである“川原町”があります。かつては水運で栄え、その湊町として賑わったと言われるエリアです。同社の眼前にはその水運源である長良川が流れています。さらに、織田信長が居城していたとされる金華山・岐阜城が神社の真裏にそびえ立つという、街中でありながら大自然に囲まれた立地でもあります。

また、昭和15年に創建される前のこの地は沼地だったそうで、そこを埋め立ててまで現在地に社が建てられたようです。こうした自然と歴史に恵まれた場所だったからこそ、主祭神である戦没者の方々をこの地に祀りたいと思い至ったのだろうと、つい想像を膨らませてしまいます。

地域の歴史・文化と結びついた桜。たった一本の木からも、その地域のヒストリーを紐解いていくことができるものですね。

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岐阜護國神社
〒500-8002 岐阜県岐阜市御手洗393
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