長い未来を想像し、まちが元気になるきっかけに繋げたい。

現在、高山市で「浅野翼建築設計室」を主宰する傍ら、コワーキングスペース「co-ba HIDA TAKAYAMA」の共同運営者としても精力的に活動を行う浅野さん。
建築設計という仕事の中でも「木」という素材を好んで使用しているそうで、“木は表現としてやわらかさを感じられるし、経年変化も楽しめる。さらに解体した後もまた使える。それってなんか気持ちいですよね”と、その魅力についても話してくださいました。

浅野さんは高山市江名子町で生まれ、もともと絵を描くのが好きだったといいます。高校生の時に観た映画「もののけ姫」に衝撃を受け、当時はスタジオジブリに入りたいと思っていたのだそうです。

建築に興味を持つことになった、宮崎駿と荒川修作の対談

宮崎駿氏と荒川修作氏の関連資料

宮崎駿氏と荒川修作氏の関連資料

浅野さんが高校2年生だった頃、岐阜市立図書館で宮崎駿氏と建築家の荒川修作氏との対談があると知り、それを聞きに行きました。その対談は、荒川修作氏が設計した公園「養老天命反転地」についての話を主軸に、“関係性の間に命が生まれる。人間は死な(ね)ない”など、それまで浅野さんが建築に対して持っていたイメージを覆すような話の連続だったそうです。建築物や空間と、そこにいる人との関わり、そこにある全ての関係性の中であらゆるものは生きている、といった話を聞き、“建築はアートの一環なんだ。五感の全てを使って感じられるのが建築という芸術なんだ”と感じ、「建築」の世界に興味を持ち始めます。

そこから“ものをつくることによって誰かに何かの影響を与える仕事がしたい”と感じはじめ、高校3年生から画塾へ通いはじめます。そして名古屋造形大学、建築空間デザイン学科に入学。大学4年間の経験を通して、建築は自分に向いているかもしれないと感じたそうです。

独立を考えることになった設計事務所での経験

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設計に関わった「円頓寺商店街」

大学卒業後は、一旦工務店に就職したのち、26歳の頃に名古屋市の設計事務所に転職。そこから建築の設計に本格的に関わるようになりました。新築から改装まで幅広い設計業務を行う中でも、特に印象的だったと語るのが「円頓寺商店街」の存在。名古屋市内で最も古い商店街と言われているその場所は、どことなく懐かしい雰囲気の漂う風情の残る街です。勤めていた設計事務所がその場所の活性化に深く関わっていたため、浅野さんも足しげく通うことになり、商店街のいくつかの案件の設計も手がけることに。それをきっかけに、「新しく建てるだけではなく、今あるものを活かして新しい価値をつくる」ことに大きな関心を持つようになりました。そして、いつか自分の地元でも同じような仕事をしたいと思うようになり、独立を考えるようになります。そして、一級建築士の資格を取り、31歳になるころ退職することになりました。

旅先で出会った「co-ba気仙沼」と、仲間たち

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旅をともにしたカブ

浅野さんは退職後、半分は海外へ半分は国内へ、1年間の旅をしようと決めました。まずはインドや東南アジア各国へ。帰国してからは、50ccカブにまたがり東北を目指して旅に出ます。東日本大震災後の東北を知らないことにスッキリしない心持ちを感じていたそうで、被災地を訪ねながらたくさんの人に出会い、たくさんの話をしたそうです。そして、最終的に行き着いた先は宮城県気仙沼市でした。

旅先での現地の人と語らう浅野翼さん

旅先での現地の人と語らう浅野翼さん

そこで出会ったのが、まさにその時立ち上がろうとしていたco-ba気仙沼と、まちを盛り上げようとしている若者たちでした。のちにクラウドファンディングを利用しオープンすることとなるco-ba飛騨高山も、この時の出会いがなければ実現することはなかったといいます。(FAAVO飛騨高山での取り組みはこちら▶︎ https://faavo.jp/hidatakayama/project/372

 

気仙沼では、まずキャンドルをつくるための工房「ともしびプロジェクト新工房」をセルフビルドでつくることになります。そこで使用した材料は、ホームセンターで購入したものや周りの皆さんから頂いたものだけ。プロの大工さんに頼むこともせず、浅野さんが現地の人やボランティアの大学生たちを率いて、試行錯誤しながら完成させたそうです。そして、その後にco-ba気仙沼のセルフビルドにも着手。浅野さんは途中で岐阜へと帰らざるをえなかったそうですが、残ったメンバーが最後までがんばり、完成させてくれました。

 

ともしびプロジェクト新工房の外観

ともしびプロジェクト新工房の外観

 

co-ba気仙沼の内観

co-ba気仙沼の内観

そんな気仙沼での経験を通じて“場をつくる過程の中で、その場は成長し、皆のものになっていくことを感じた”と浅野さんはいいます。建物や空間は、使う人がいて、その人たちに愛されてこそいい場所となる。そのためには、つくること・計画することから関わることが重要なんだと強く感じたそうです。

 

場をつくること、まちが元気になること

co-ba飛騨高山、セルフビルドの様子

co-ba飛騨高山、セルフビルドの様子

空間を計画するにあたって、“建物(ハコ)だけでは意味がない”と浅野さんは話します。

空間とは、目的を持った人が使うためにつくるもの。その人たちが愛情をもって使い続けられる場所にするにはどうしたら良いか、その目線が建築士には重要なのだといいます。もちろんそこには、建設コストや運営コスト、集まるひとのことなど、多くの複雑な要素が関係してきます。ただ綺麗な場所をつくるだけではなく、長い未来を想像しながらそれらの問題にきちんと向き合ったうえで、その場所が永続的に続くように考えていきたい。その流れがやがてまちの動きをアクティブにし、まちが元気になっていくきっかけにもつながるはず。そんな思いで設計を行っているそうです。

 

co-ba飛騨高山の内観

co-ba飛騨高山の内観

 

Fresh Lab.TAKAYAMAの内観

Fresh Lab.TAKAYAMAの内観

またいつも心がけているのは、クライアントの想いをかたちにするだけではなく、そこにクライアントの想像を超える驚きをプラスしていくことなのだそうです。“自分にしかできない仕事をすることで、クライアントの皆さまに「浅野さんにお願いして良かった」と思ってもらいたい”そんな熱い想いも語ってくださいました。

 

白石家リノベーションの内観

白石家リノベーションの内観

 

現在も、住宅や店舗の設計、イベント企画や仲間と始める新規商品開発などで毎日忙しくされているという浅野さん。これからも「まちが元気になるような愛情にあふれた空間」が、浅野さんの手によって増えて行くことを楽しみにしていきたいと思います。

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浅野翼 一級建築士

岐阜県高山市生まれ。浅野翼建築設計室を主宰する傍らで、co-ba hidatakayamaも共同運営し、飛騨を拠点に様々なイベントの企画や活動に取り組んでいる。

浅野翼建築設計室

岐阜県高山市江名子町2388
TEL:0577-57-9115
FAX:0577-57-9116
E-mail:tsubasa@st-architect.net
HP:http://www.at-architect.net
Facebook:https://www.facebook.com/atarchitect.net

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coba HIDA TAKAYAMA

岐阜県高山市本町3-7(高山印刷1F宮川側入口)
営業時間:月〜土 10:00〜17:00(日祝休)
E-mail:coba.hida.takayama@gmail.com
HP:http://tsukuruba.com/co-ba/hidatakayama/
Facebook: www.facebook.com/coba.hidatakayama