森の資源の循環をまわす一人として、国産広葉樹の木工を極める【ARTS CRAFT JAPAN】(前編)

一本の木が生き物として生きている状態から、伐採・加工され材料となり、モノとして私たちのもとに届くまで、長い距離と時間がかかっています。

その過程では、仕事という形であらゆる人の手を通って来てもいます。しかし、その事実は世間に全然伝わっていません。あんなに巨大な生物資源をみんなで苦労して消費者のもとへ届けているというのに、知られていないのは悲しい…!

ということで、森に直接的・間接的につながっている色々な仕事をシリーズ記事として紹介していきたいと思います。

※森ではたらきたい!という方は、合わせてWEBサイト「森、しごと、探す。」をチェック!↓
https://job.moriwaku.jp/

ARTS CRAFT JAPANの渡邉主税さん

ARTS CRAFT JAPANの代表取締役を務める渡邉主税さん

今回は、森ではたらくシリーズ第2弾として、山桜を中心に国産広葉樹での家具・小物づくりを行う木工房「ARTS CRAFT JAPAN」の代表取締役・渡邉主税(ちから)さんに話を伺いました。

木彫刻家から、家具職人へ

大阪府出身の渡邉さん。高校生の頃から芸術家になることを志していました。立体造形が得意だったことから、大学では彫刻のコースに進み、木彫刻の作品を製作。これを職業にしたいと思っていたものの、芸術を仕事にして食べていくのは厳しい現実があります。

例えば彫刻の場合は、駅前や美術館、役所などに設置されている環境モニュメントを製作する仕事だったり、映画などで使うような造形物などをつくる造形屋だったり、あとは舞台のセットなどをつくる仕事に限られます。木であれば仏像や欄間の彫刻もありますが、どれも「ちょっと違うな」と感じていた渡邉さん。

「ただ、若いし、分かんないから、比較的色々できそうな舞台美術を選んで、セットとか作ってたんですけど、何年か働いているうちに、一ヶ月くらいかけて作りあげたセットが、その3日間のコンサートが終われば壊されるんですよ。簡単に。それを見せられて嫌な気分になったんですよね。これも違うなと思って」

それをきっかけに退職。「50年、100年使って、お客さんの喜んだ顔が見えるもので、尚且技術のあるものって考えた中で、家具が比較的それに合致するなって思って、20代後半ぐらいから家具の世界に入りました」

北海道北見市にある訓練校に通い、木工技術を習得。その後、北海道旭川市にある特注家具のメーカーに勤め、多種多様な家具の作り方・デザインを学び、技術を磨いていきました。

そして、今から8年前の2011年、岐阜県高山市に工房を構えて独立。渡邉さんが37歳のときのことでした。

独立前夜

訓練校時代、今の妻となる祐子さんと出会い、旭川で結婚した渡邉さん。独立について祐子さんからの反対はなかったそうです。

「付き合い始めの頃は、訓練校を出て2~3年くらい修行して独立するイメージでいました。でも、やり始めてそれはちょっと甘いなと思いましたね。めっちゃうまい人とかいっぱいいるじゃないですか。ベテラン職人さんとか。2~3年くらいのキャリアの人が通用するような世界じゃないと気が付いて。もっと必死になってやらないかんと思ったんですよ。一通りできるだけのレベルじゃ歯が立たない。20年とかやってる人はもっとうまいわけなんで。そういう人と同じ土俵に上がって、『あなたは勝てますか?』って言われたら、たぶん勝てないなあと思ったんですよ」

「それに気付いてから、どうしようかなあって踏み切れなくなっちゃったんです。結局、訓練校から含めると修行は11年くらいかかってしまって。『あなたはやる気がないんじゃないか』とか色々言われるわけですよ。反対とかはなかったんですけど、『ようやく踏ん切りがついたか』みたいな感じで(笑)」

もちろん、修行のあいだに着々と独立に向けた準備は進めていました。

「この世界の怖さを知るじゃないですか。3年くらい仕事していると。甘くないなって。勢いだけじゃできないんですよ。事業計画を立てるようなセミナーに行ったり、自分で会社名つけて、この会社のコンセプトは?とか、どういう商品づくりをするか?とか、そういうのを書き込んで、仮想の会社の企業理念とかもつくって、そういう冊子をA4のファイルでつくってましたね」

自分が何をやりたいのか、それを明確にしてアウトプットするのが大事だという渡邉さんの哲学。納得がいくまで作り込んでの独り立ちでした。

「『ARTS CRAFT JAPAN』という名前も実は色々と考えてつくっていて。渡邉木工とかウッド◯◯にすると、名簿とかで必ず最後の方になってしまうのが不利だなと。名前の一覧で必ず最初になる「あ」や「A」をつけようと思っていました」

「美術を学んできたし、表現も多彩にしていきたいということで『ART』に。立体があったり家具があったりデザインがあったり、自分以外のアーティストも育てていって、色んな表現があるように、多様性があるようにしたいから『ART』に『S』を。そして技術や工芸を意味する『CRAFT』。海外で発表したときに日本人だっていうのを伝えたくて『JAPAN』をつけました」

思いが確かだから、会社名も細部まで考え、練り上げたものになっているんですね。

52坪の空っぽの倉庫

家具の三大産地というと、北海道・旭川、岐阜県・高山、福岡県・大川です。一つの産業として成立しているため、材料や機械、刃物、仕事先など家具をつくりやすい条件が整っています。岐阜の場合は特に、日本の真ん中。三大都市に近いなどの立地の良さがあります。

「旭川より有利だなと思って。旭川だと津軽海峡を越えないといけないから、簡単には出られない。独立した当時はお金もないから、東京に出張へ行くのも難しいですからね。高山なら車を持っていれば日帰りで東京へ打ち合わせ、大阪へ納品とかもできるし。たぶんこっちの方がうまくいくなっていう自分の読みで高山を選びました」

ARTS CRAFT JAPAN

ARTS CRAFT JAPANの工房外観。周辺は雄大な山々

物件探しのため、旭川から高山まで車で来たという渡邉さん。道の駅などで寝泊まりしながらの旅は、さぞ大変だったことでしょう。そして、高山市朝日町で52坪の空っぽの倉庫が売られているのを見つけました。

「倉庫を買ったところで、うまくいく保証はないじゃないですか。怖いなあと思って、とりあえず貸してくれって交渉して、2週間くらい粘って、旭川に帰る最終日くらいに『じゃあ貸してあげるよ』って地主さんが根負けして、売るつもりだった物件を貸してくれたんです」

ARTS CRAFT JAPAN

現在の工房

その後一旦旭川に戻り、しばらくしてまた車で高山へ行き、工房の立ち上げ準備を始めました。床に白いペンキを塗ったり、機械を入れたり。ワイヤーを張って、蛍光灯を下げて、電気屋さんも呼んで配電盤を取り付け、機械を動かせるようにして整えていきました。

最初は祐子さんと2人で始動。8年目を迎えた今年は、高山市の木工芸術スクール卒業生が常勤スタッフとして1名加わりました。

ARTS CRAFT JAPANの日々

ARTS CRAFT JAPAN

事業の柱は3本立て。山桜を使った自社製品の家具、端材を加工した箸置きやカッティングボード、仕事を安定させるための下請けによる家具製作。これらを組み合わせることで、暇な時期がなくなり、会社として安定した基盤をつくることができます。

それぞれの製作スケジュールに合わせて、日々の作業を進めていきます。渡邉さんの場合は同じ作業をずーっとやるのは得意じゃないということで、木取りをしたりオイルを塗ったりと、1日であらゆる作業を行うそうです。

山に囲まれた立地も特徴的。「自分は当たり前になってしまったけど、外から来た人には『すごい森の中や』って言われます。道の駅にごはんを食べに行くと、「山桜の匂いがする」って言われますね。全身から森の匂いを発しているみたいで。人から言われて気付きますね(笑)」

木工房として徐々に力をつけてきたARTS CRAFT JAPAN。高山の地で創業したことで渡邉さんの中で新たな変化が出てきました。この続きは後編で!
※後編記事はこちら↓
http://moriwaku.jp/learn/work/5982/


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