映画『世界から猫が消えたなら』ならぬ『世界から木が消えたなら』考えてみた
去年公開された映画『世界から猫が消えたなら』という作品をご存知ですか?原作・川村元気、感動ベストセラーとして知られ、2013年には本屋大賞にノミネートされています。その後文庫化・コミックス化され、海外からも絶大な人気を集めたこの映画が去年2016年に映画化されました。
郵便配達の主人公は愛猫キャベツと二人で暮らしています。母を亡くし父とは疎遠、恋人もおらず、友達も少ない主人公が、ある日突然余命わずかの宣告を受けます。そんな彼の前に現れた悪魔。悪魔は主人公に向かってこう言います。
「世界から何かひとつ、ものを消すことで、1日の命をあげよう。」
主人公は次々と世界からものを消してまいます。電話、映画、時計、そして最後には猫までも・・・大切な思い出も一緒に消えてしまい、主人公に残るものは一体。そんな考えさせられる深い映画です。
それは木も同じことなのです。少し強引な持っていき方ですが、木にも同じことが言えます。今まで人は施設や建物を建てるために森林を次々と伐採していきました。また日本においては、国産の木を使わず輸入の木に頼るばかりで、森林の手入れができていないという現状にあります。使うだけ使って、森林の手入れをせず・・・そんな課題が今問題になっています。
人間がそのような行動を続けていると・・・まさに『世界から木が消えたなら』
※以下の内容は「起きるかもしれない・・・」という女子大生の予想にすぎませんことをご了承ください。
まず森林があることで雨水を地下に吸収していた働きがなくなり、土砂崩れが起きるでしょう。世界の森林大国はきっと土砂崩れで飲み込まれてしまうのではないでしょうか。日本に至っては約3分の2が森林ということで、ほとんどの陸が土砂で埋もれてしまうことになります。そして土砂崩れになれば、人間の生活どころか、森にいた動物も木を栄養としていた虫も生きていけなくなります。
仮に雨が降らなかったとしても、動物たちは住処をなくし、木を食料としていた生物が生きていけなくなり、人間の住む町に下りてきて、世界が錯乱してしまうことは目に見えています。地球温暖化も急速に進むだろうし、木がなくなることは自然の崩壊を意味しているのではないかと考えました。
そのような状況になってからでは遅いのです。『世界から猫が消えたなら』では余命を伸ばすためにどうしても消しざるを得なかった部分もありますが、このまま森林が人間の好きなように伐採されたり、手入れされなくなってしまうと、将来の大切なものが失われてしまう危険性は十分に考えられます。
1つの映画からここまで考え込んでしまいました。案外ちょっとしたところに考える種は落ちているのかもしれませんね。ぜひ皆さんも『世界から猫が消えたなら』を見て『世界から木が消えたなら』を考えてみてください。